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zoom RSS 中々進まないことを粘り強く続けるのが保守

<<   作成日時 : 2015/02/28 11:01   >>

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保守の姿勢について、長いですけどメモしておきます。

あきらめこそ勝利の秘訣  (ASREAD・佐藤健志)

<一部抜粋>

 本稿をお読みいただいている皆さんは、日本の現状に問題意識を持つ方々でしょう。そして国家や国民としてのまとまりを大事にする、いわゆる保守の立場から、わが国のあり方をより良い方向に変えたがっているものと思います。

「歴史や伝統の尊重」を付け加えなかったのは、国家や国民としてのまとまりを大事にする限り、これらが含まれるのは自明であるからにすぎません。とまれ、そのような皆さんに何を申し上げるべきか。

 何より強調したいのは、保守的な立場から日本の改革を目指すのであれば、改革のゴール、つまり目的のみならず、その進め方、つまり手段においても保守主義的な姿勢を取るべきだということでしょう。目的と手段を切り離すことはできません。「何をするか」と「どんな形でするか」は、常に密接不可分なのです。

 改革を目指すというのは、もともと左翼的な姿勢。保守本来のものではありません。ですから保守主義の改革志向は、気をつけていないと「保守主義的な目的を、左翼的な姿勢で追求する」という自己矛盾に陥ります。

 何かを改革するときは漸進(ぜんしん)主義で進める、すなわち物事をなるべくゆっくり変えてゆくのが保守主義です。また改革を行なう点は、あくまで最小限にとどめねばなりません。改革が良い結果をもたらすかどうかは、結局のところやってみなければ分からないし、予想もしていなかった弊害が生じる危険もあるからです。
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「理想に酔う保守」はあり得ない!ー戦後を頭ごなしに否定すべからず

 したがって「保守的な改革を断行すれば、日本のあり方は一変し、見違えるように良くなる」と思ってはなりません。ある時点を境に、従来の社会システムを根本より否定し、新しい理想的なシステムを一から築くことができると信じる態度は、哲学史において「ご破算で願いましては神話」と呼ばれますが、これは十八世紀、進歩主義や啓蒙主義の発達とともに生まれたもので、要するに左翼的な考え方です。

 戦後日本のシステムそのものが、戦前の日本を根本より否定し、新しい理想的な国を一から作ろうとする発想に基づいて構築されたものではありませんか。「保守改革による戦後日本の刷新を!」などと唱えるのは、「戦後日本を戦後日本的に変えよう!」と主張するに等しいのです。

 のみならず、今や問題だらけに見える戦後日本のシステムも、構築された時点においては、それなりの根拠や必然性をもって作られました。敗戦・占領に伴って生じた、さまざまな事情や制約を踏まえた上で、良い国を作るべく、当時の日本人がベストとみなした選択の積み重ねが、戦後を形成したわけです。

 真の保守主義者が、この点を無視して良いはずはない。しかり、戦後日本を頭ごなしに否定してもいけないのです。先行する世代の行ないについて、彼らの抱えていた事情を察することなく侮蔑するのは、「人間は『歴史の進歩』とともに賢くなっているはずだ」という左翼的な発想から生じた傲慢にほかならない。

 われわれにしたところで、日本の現状から生じるさまざまな事情や制約を踏まえて、ベストを尽くす以外にないのです。先行世代の限界を知るのは大事ですが、自分自身の限界をわきまえるのも、保守主義者にとって必須の条件と評さねばなりません。

「限界をわきまえる」ことには、人間は自己顕示欲や権力欲といったエゴを捨てられないと自覚することも含まれます。保守的な立場から日本の改革を目指す人々の中にだって、わが国のあり方を純粋に良くしたいと願う気持ちと、「日本を良くしようとする自分」に注目してほしい気持ちの両方がひそむのです。

 批判しているわけではありません。社会改革を目指したからといって、いきなり聖人君子になれるはずはない。当たり前のことです。

 ただしここで、厄介な問題が持ち上がる。わが国のあり方を良くしたいと願う気持ちより、「日本を良くしようとする自分」をアピールしたい気持ちの方が強いと、しばしば無自覚のうちに、日本の状況が悪いままであることを──つまりは自分が目指す改革の挫折を望み始めるのです。

 日本が本当に良くなったら、「日本を良くしようとする人々」は不要になってしまう。社会改革に自分のエゴを託した者にとり、これは都合の悪い顛末といわねばなりません。
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「脱原発依存」と「〈脱原発〉依存」

 左翼系の運動ですが、反原発を例にとりましょう。東日本大震災によって福島第一原発の事故が引き起こされて以来、「脱原発依存」なるフレーズが使われるようになりました。

 反原発を訴える人々は、むろんこれを「原発への依存を脱する」意味合いで唱えているに違いない。とはいえ実際には、「脱原発」のお題目に頼って注目を集めたがる、「〈脱原発〉依存」とも呼ぶべき態度がうかがわれます。

 そして「〈脱原発〉依存」をホンネとする者にとり、原発が再稼働するのは良いことなのです! 反原発運動への注目が高まるではありませんか。

 反原発に始まった話ではありません。日本の平和運動関係者は、(たとえば)米軍基地の問題が悪化したと聞くと、かえって喜びそうな気配がある、これは一九五〇年代から指摘されていました。

 果たして保守派は、このような心理と無縁でしょうか? 保守に限って大丈夫だと構えるのは、保守主義者にあるまじき自己過信です。

 事実、「反日勢力の策謀」などをめぐる議論に接すると、反発や怒りに混じって、一種の高揚感がうかがわれます。「ほら見ろ、日本の状況はこれほど悪いんだ。だからわれわれは必要とされているんだ!」という次第。

 真の保守は、あきらめから出発すべきなのです。まずは日本の刷新が可能だという夢、もしくは幻想をあきらめる。

 ついで「自分は純粋に国のためを思って行動している」というキレイゴトをあきらめる。その上でなお、日本のあり方を良くしてゆく可能性についてはあきらめないのが、保守主義者の取るべき態度でしょう。

そんな姿勢で日本が保守できるのか?

 と思ったアナタ。実はこれこそ、保守達成のカギです。反原発運動や平和運動をめぐって述べた通り、人間の限界をわきまえないがゆえに、「人間はエゴを捨てられない」と自覚できない者は、自分たちが「挫折に向かう状況」にあることを、ひそかに望むようになるのです。

 かつての社会主義諸国において、革命が達成されているにもかかわらず、「反革命分子」に対する警戒がさんざん叫ばれたのは、その良い例でしょう。二十世紀末、社会主義陣営が崩壊したことだって、自覚されざる挫折願望の帰結かもしれません。

 社会改革にエゴを託した者は、根底では対立する勢力の存続、いや拡大を望んでしまう。片や真の保守主義者は「あきらめつつ、あきらめない」姿勢を通じて、対立勢力をことさら否定する必要のない境地に至ります。裏を返せば、向こうの存続や拡大も望まずに済む。

 結果は明らかではありませんか? 急がば回れ。保守が勝利するための秘訣は、安易な改革志向をあきらめることなのです。

  (http://asread.info/archives/1559

少しややこしいですが、「保守っていうのはゆっくりと進める方法しかできない」ということのようです。
そして、「人間はエゴを捨てられないと自覚して、日本の刷新が可能だという夢、もしくは幻想をあきらめる」。
その上で、「日本のあり方を良くしてゆく可能性についてはあきらめない」という姿勢が保守主義者の姿勢だということです。

確かに反日左翼的な報道があると熱くなるのがネット界の常ですので、そんな反日報道をかえって喜ぶところがあるようにも思えます。
そんなエゴを抱えながらもそのエゴを自覚して、それでも日本を良くする可能性をあきらめない姿勢が必要だということです。
  

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