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zoom RSS 英語推進・日本語廃止で植民地人へ

<<   作成日時 : 2015/02/09 14:28   >>

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英語推進でそのうちに教育格差まで拡大するかもしれません。

【施光恒】「グローバル人材」って「植民地人」のことかもね!?  (三橋貴明の「新」日本経済新聞)

<一部抜粋>

政府肝いりの「クールジャパンムーブメント推進会議」なる有識者会議は、オドロキの提案を行っています。日本人が自分たちの税金でわざわざ英語「租界」を作ってやろうというとても「クールな」(お寒い)提案です。外資は喜ぶでしょうけど。

例えば、「特区内では公共の場での会話は英語のみに限定する」、「視聴できるテレビ番組は(英語の)副音声放送がある番組とする」、「販売される書籍・新聞は英語媒体とする」、「特区内で事業活動する企業が、社内共通語の英語化や社員の英語能力向上に資する活動を積極的に展開する等の一定条件を満たした場合、税制上の優遇措置を図る」などです。
( ゜д゜)マサカマジデイッテルンスカ…

このような最近の英語偏重教育の流行について、私が最も懸念するのは、子どもたちが母語である日本語や日本文化を、英語や英語文化よりも、価値の低い、劣ったものだと考えてしまうのではないかという点です。

さいたま市や岐阜市だけでなく、数年後には日本中の小学校で英語を正式教科として教えるようになります。当然ながら、私立中学の入試では英語が課せられるでしょう。教育熱心な家庭では、子どもの英語圏への短期留学なども流行ります。

中学・高校の英語の時間では、原則的に日本語禁止の「オール・イングリッシュ」の方針がとられます。(これについては下記の過去記事もご覧ください)。
(【施 光恒】「「オール・イングリッシュ」の愚」『三橋貴明の新日本経済新聞』2014年5月2日配信)
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2014/05/02/se-37/

大学でも、「一流大学」ほど講義が英語化されていきます。京大は教養科目の半分を英語による講義にするそうですし、九州大学は4分の1の授業の英語化を目標としています。

東京大学の理学部化学科にいたっては、すでにすべての授業を留学生に合わせて英語化してしまいました。日本語廃止ですな…。

(「東大理学部化学科、外国人編入生受け入れ 全授業を英語に」『日本経済新聞』2014年9月30日付)
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG30H18_Q4A930C1CR8000/

こういう流れのなかで、今後の日本の子供たちは、まず間違いなく「日本語や日本文化は英語や英語文化よりも劣っている」と考えるようになるでしょう。省庁や自治体、国立大学などが「英語化を進めれば進めるほど先進的なのだ、知的なのだ」というイメージを周囲に振りまいているわけですから、子供たちは影響されるはずです。

そう遠くない将来、日本人の多くが、「あの大学、まだ日本語で授業してる。三流大学だなwww」、「社内で日本語が聞かれるようでは一流企業ではない」などと普通に思うようになるのではないでしょうか。

しかしそうなってしまったら、法的には独立国家の体裁を保っていたとしても、日本人のものの見方は植民地下に置かれた人々と似たようなものになってしまいます。

ケニアの作家グギ・ワ・ジオンゴ氏は、ノーベル文学賞候補として毎年のように名前が挙がる人物です。グギ氏は、かつては英語で小説を書いていたのですが、ある時期から自分の母語であるギクユ語で執筆するようになりました。母語で書かなければ、自分たちの本当の感情は表現できないし、文化の独立や発展にもつながらないと考えるようになったのです

グギ氏は、植民地体制下では一般に、宗主国の人間は自分たちの言語を、現地の言葉よりも価値の高い一種のステイタス・シンボルにしようとすると指摘します。その上で、次のように続けます。

白人の言葉を学んだ者は誰もが、田舎者である大多数の者とその粗野な言葉を軽蔑しはじめる。選びとった言葉の思考方法と価値観を身につけることによって、彼は自分の母語の価値観から、すなわち大衆の言葉から疎外されるのである」(グギ・ワ・ジオンゴ/宮本正興ほか訳『精神の非植民地化──アフリカ文学における言語の政治学(増補新版)』第三書館、2010年、188頁)。

つまり「英語がことさら重視されることで、現地語は汚名を着せられ、英語と同等の価値がある言語とみられる可能性がなくなる。結果として現地の文化や言語の創造性が妨げられる」というのです。

もちろん日本は植民地下に置かれているわけではありませんが、近い将来の日本の子供たちの多くは、植民地下の人々と同じような状況に陥りそうです。英語的な価値観や思考方法こそ先進的でカッコいいと思いこみ、日本語や日本的価値観、ひいてはそれを身につけている大多数の日本人を軽く見るようになるのではないかと懸念せざるを得ません。

日本の政府や自治体、教育制度自体が税金を使って「これからは英語だぞ〜、日本語は内向きで遅れた言語だぞ〜、賢い子は英語で話し、学び、考えろよ〜」と暗黙のメッセージを発しまくるわけですから

ここ最近、朝日新聞的インテリの権威が地に堕ち、日本社会はやっと戦後の自虐史観から少しずつ脱しつつあるのに、また新たな、おそらくもっと強力な自虐的世界観が広まってしまいそうです

グローバル人材を育成するぞ!」と意気込んだのに、フタを開けてみたら自国の文化や言語に抜き去りがたいコンプレックスを抱えて打ちひしがれる「植民地人ができちゃいました…」なんてことになりそうです。ホント笑えません。

  (http://www.mitsuhashitakaaki.net/2015/02/06/se-52/

アジア諸国などで学生の英語レベルが高いのは、学術系の本は英語の本しかないし、英語でしか授業していないのが原因らしいです。

日本も英語レベルを上げるだけならば、同じように「学術系の本は英語本のみ、大学等では英語のみで授業をする」ようにすれば、必ず学生など一部の英語レベルは向上するのでしょう。

そして、他の発展途上国のように、『自国の「文化の独立や発展」よりも英語での文化・文明を受け入れる』という状況になるのでしょうか。
______________

あまり意識されていませんが、日本は現在あらゆる分野の本が母語により読めるという、かなり稀な国のようです。
しかし今後、現在の英語偏重が進めば、英語の本しかない分野や英語でしか学べない分野が出現してしまい、さらに進んで日本語で表現できない語彙が出てくるのではないかを考えます。

日本語の言語レベルの低下、そして英語教育による教育格差拡大によって、せっかく先進国の位置にある日本ですが発展途上国入りとなる日も近いのでしょうか。
  

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